ものの見方を再定義したい

高給取りで世間からもチヤホヤされる大企業を6ヶ月で辞めた話。

僕は今、ギフトEC(TANP)を運営するITベンチャーでエンジニア&デザイナーとして活動している。

毎日がとてもクリエティブで充実している。しかし、ちょうど一年前までは、大手ゼネコンで消耗していた。

 

今回はその頃の話を少ししたいのだが、なぜその話をするのか。

 

少し前、僕の身近には職場で追い詰められてしまい、精神的な問題を抱えてしまった女性がいた。

その頃、僕は会社をやめてまぁ色々やっていたのだが、

僕ができることは自分の経験をもとに相談にのることぐらいだった。

しかし、少しは背中を押すことができたのか、彼女なりに一歩踏み出したのだ。

そして今はとても生き生きした人生を送っていて、たまに話をすると、楽しそうに最近の出来事を話してくれる。

 

単純に、そういう人と話すのはすごく楽しい。

 

ぶっちゃけ、別に対した経験でもないし、

最初からバリバリ好きなことをやっている人にとってはむしろしょーもない話かもしれない。

けど、実際、僕が会社を辞めてやりたいことに向かって動き出したことで、『俺も〇〇やろうかな』『仕事やめようかな』『起業したい』みたいな人が面白いほど周りに増えた。

 

そんな人が増えるのならば、もう少し、多くの人に届く場で話してみたいと思う。 

 

『好きなことを仕事にできるほど世の中甘くない。』への違和感

 

『現実を見ろ、好きなことを仕事にできるほど世の中甘くない。』

 

これが、僕の周りにいた大人たちの決まり文句だった。

毎日職場の人間関係に疲れ果て、口を開けば上司や同僚のグチ。土日を楽しむためだけに、平日をただ我慢の時間として浪費する大人。社会人とはこんなものなのだろうかと思いつつも、どこか自分はこんな大人には絶対になりたくないと、多分、中学に入ったころから思うようになった。

 

今思えば、サッカー部だった僕が、高校から急に演劇の道に走ったのは、僕にとって俳優が『好きなことを仕事にしている人』の代表的なもので、そこに憧れていたからかもしれない。

 

昔から、好奇心は強くいろんなものに興味はあったが本当にやりたいことがわからず、結局、それらの中でも唯一大学を出る必要があったという理由で建築の道に進んだ。

 

デザインなどは好きだったので、課題などはそれなりに頑張りつつも

 

「社会にでたらどうせ遊べなくなる」『大学は人生の夏休み』

 

という今思えばクソみたいな風潮にながされ、朝まで飲んでそのまま講義みたいなこともたくさんやった。

 

大学4年になると当然、就職を意識するようになった。

当時もすごく悩んだが、仕送りもなく、お金にかなり苦労していたことが後押しとなり大手企業を志望した。

なんとか内定をもらい、その後も、葛藤は度々あったが、結局そのまま就職した。

 

少しだけお金や地位を手に入れて思ったこと。

最初は新しい環境で刺激的なことも多く、それなりには楽しかった。

給料も高くて、毎日高いご飯を食べてもお金は貯まるし、敷居が高かったブランドの店にも堂々と入れるようになった。

大阪ではかなり名の通った企業だったので、会社名を言えばタクシーは勝手に本社に着くし。ぶっちゃけ、合コンでの需要の高さはすごかったらしい。(らしい)

 

けど、所詮その程度だった。

 

肝心の仕事に関しては、ちっとも満足感を得られなかったのだ。

 

思い返せば、自分なりに将来を考えて決めたつもりのこの会社も、結局は周りの意見や世間体に流されて、『安全・らく』の範囲の中で、できる限り自分のやりたいことに近いものを選んでいただけにすぎず、必死に悩んでいたのは自分をごまかすための作業だった。

 

最初の半年が現場管理ということもあったが、

毎日4時起きで襲ってくる憂鬱。

上司の顔色を伺いながら、無言で食べる昼食。

バイトで事足りる書類整理をひたすらやる日々。

訳のわからん挨拶練習

睡魔に耐えるだけのなんのためにやっているかわからない研修。

仕事終わりの同期が帰る寮は、お互い上司の愚痴を言い合うのが日常で、気がつけば、ただ花金を楽しむためだけに平日を消耗していた。

 

小さい頃いやだった、絶対になりたくない大人になっていた。

 

このまま会社にいて、きっと10年も経てば、ある程度仕事はできるようになり、やりがいも生まれるだろう。

友達にも『3年は頑張ろうよ、楽しくなるまでそれくらいは必要だよ』みたいなことも言われたが、僕にとって、一番パワフルに動けるであろう貴重な20代の3年間を『耐える』時間には絶対したくなかった。

 

そう考えるようになってからは、正直、究極にサボるようになったし、仮病も使うようになっていった。

『仮病がもっとも重い病気』ってのをどこかで聞いたことがあるけど、まさにその通りだと思った。

とにかく、自分の時間がもったいなくて、一日も早く抜けだしたかった。

 

そしてやめる決意をした。

 

めちゃくちゃ、いろんな人に反対された。

『入りたくても入れない人がたくさんいる』『将来が保証されてるのに』もったいない』とか、むちゃくちゃ言われたけど、

そんなものは、もうどうでもよかった。

それに、今までそういう意見に流されて、そうなっていたので全部無視した。親にも事後報告だった。

  

一歩踏み出せば、180度人生変わる。

 

実際、やめてどうだったか、

 

本当にやめてよかったと思う。

別に前の会社がどうこうということではなく、自分にとって価値があると思う方に踏み出すというこだ。(もちろんその仕事に誇りを持っている人もいる。)

 

今に到るまでは、いろいろな葛藤もあり、それなり波乱万丈で、まじでしんどかった時期もあった。

けど、今は胸を張って、自分にとって価値のある時間を存分に過ごしていると言える。

 

 

朝の憂鬱感はワクワク感になった。

 

耳に入ってくるのは上司の愚痴や仕事に行きたくないという言葉ではなく、

どうしたらもっと良いサービスになるのか、どうしたら実現できるのか。

そんな未来に目を向けた言葉だ。

 

いかにサボるかを考えていた時間は、いかに効率よく仕事ができるか、良いアウトプットができるかを考える時間になった。

 

早く過ぎて欲しかった時間は、まだ作業したい!と思える時間になった。

 

ご飯の味もわからないような、張り詰めた昼食は、お互いの意見を交わし合う楽しい時間になった。

 

怒りで解決しようとしていた40代の上司は、自分よりも年下なのに、冷静に議論をすることで解決する人に変わった。

 

やること1つ1つに『なぜ?』を大切にし、クリエイティブな仕事ができるようになった。

 

今は好きな仕事をすばらいしい人たちと全力でやっている。

 

これから就活する後輩へ

 今なら断言できる

『好きなことを仕事にできるほど世の中甘くない。』は無視していい。

大抵これをいう大人は、そもそもチャレンンジすらしていない。

そして、僕がこの目で見てきた成功している大人、楽しそうな大人は『好きなこと・情熱』を必ず大切にしている。そしてその人たちのなかで教えてもらった言葉を伝えたい。

 

『好きでもないことで成功できるほど世の中甘くない。』

 

実は普通に考えるとこれは当たり前だと思う。

何かを成し遂げるのには必ず努力が必要であって、その努力をイヤイヤやる人間と、夢中になって自然にやる人間の生産性の差は言うまでもないだろう。

 

特に、地方の大学でそういった人やコミュ二ティと交わる機会が少ない人に伝えたい。

「社会にでたらどうせ遊べなくなる」『大学は人生の夏休み』と言って朝まで呑んで、講義で寝る。そんな日々を過ごしている間に、

自分たちの夢や将来にちゃんと向き合って、信念を持ち挑戦し続けている同年代がたくさんいることを知って欲しい。

そして、そんな彼らが世の中をつくっていってることを知って欲しい。

 

もちろん、今回の話は無数にある生き方のうちの1つに過ぎないが、

もし、日々消耗している人がいるなら、もう一度、『自分にとって本当に価値のある時間を過ごしているか』を考えることをオススメします。

 

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